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『小ホール講演会』(2/24開催)のご報告 

同窓会員どうしの卒業年次を超えた交流活性化の一環として、2月24日16時より第2回『小ホール講演会』が開催されました。2回目の今回は、元海上自衛隊横須賀地方総監の松岡貞義さん(S45年卒)に、『知られざる自衛隊の活動(元提督の証言)』の演題で約60分のお話をして頂きました。

いつも凛として毅然、立ち居振る舞いや一挙手一投足に全く隙が見えない。まるで剣豪のようなオーラを感じる松岡さんですが、人柄は実に気さくで朗らか。同期の方々10名、20代~80代に亘る総勢18名の会員の皆さんが参加した講演会でしたが、松岡さんの穏やかな話ぶりに、つい時間を忘れて聴き入ってしまいました。

36年間勤務した海上自衛隊での勤務を終え、今では「海上防衛に捧げた半生に悔いは無く、在職中大過なく職務を全うし、無事制服を脱ぐことができたことを誇りに思っています。」と語る松岡さんですが、防衛大学校では厳しい教育訓練の明け暮れに何度も挫折しそうになったそうです。そんな時には、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読むのが大きな楽しみだったそうです。
 
 NHKスペシャルドラマ司馬遼太郎の「坂の上の雲」の放送を契機に、松山の秋山兄弟生誕地の学芸員の皆さんや、同期生の皆さんとともに村上愼吾同窓会長が横須賀総監部を訪れてくれたり、更には当時の中村時広松山市長(現愛媛県知事)が横須賀を訪れるなど、そんな時には故郷松山の話で大いに盛り上がったことが、今では懐かしく思い出されるとのことです。

 TV放映されたインタビューで松岡さんが語った、「中国も含め各国の軍人とは交流があるが、戦争を最も避けたいと思っているのは軍人です」とのコメントは印象深いものでした。

 ご講演の後、昭和26年卒の紺田隆也様から、「国民のために命をかけて立派に活躍する自衛隊の幹部を後輩に持てて、大変誇りに思う」との暖かいご感想を頂くなど、とても感銘深いご講演となりました。

 同窓会員が集い合って東高のゆかりの方のご講演を聴かせていただく小規模の講演会です。東高生の東高生による東高生のための講演会!他では聴けないユニークなお話も豊富にあると思います。今後も定期的に開催しますので、奮ってご参加ください。

                                                   (報告者:事務局長 河崎定信 S45年卒)

   
 松岡さん(S45年卒)の穏やかな話ぶりに、聴き入る参加者の皆さん


  演 題  『知られざる自衛隊の活動(元提督の証言)』
  講演者  元海上自衛隊横須賀総監 松岡 貞義氏 (S45卒)
  ご講演要旨
                                         
1 海自の災害派遣活動
 横須賀地方隊の主要な任務は、太平洋沿岸海域の防衛警備、災害派遣、民生支援、及び艦艇部隊に対する補給、修理などの後方支援です。中でも総監にとって平時における最大の懸案は、大規模震災が発生した場合に海上自衛隊として如何に対応するかということでした。
あの3月11日の東日本大震災が発生した時は、激しい地震の揺れと、その後の湾内の異常な潮位の変化に異変を感じた横須賀基地では、艦艇の乗員を帰艦させ、救援物資を搭載し、緊急出港の準備に追われていました。そして、発災翌日の12日早朝には20隻の艦艇が被災地沖に到着。初動期間において海上自衛隊が被災地に投入した兵力は、艦艇約60隻、航空機約100機、人員約16,000人に及びました。海上自衛隊では、今回の大震災を平和時における有事と捉え、最高の態勢をもって臨んだのです。

 今回の大震災における自衛隊の任務は、地震発生当初は人命救助、その後は行方不明者の捜索、輸送支援、生活支援(給水、給食、燃料、入浴、衛生)でありました。隊員諸君は悲惨な災害現場において、「すべては被災者のために」との思いで過酷な任務に従事してくれました。後輩諸君の使命感に裏打ちされた自己犠牲の精神溢れる活動に対して、心から感謝するとともに、彼らを頼もしく誇りにも感じました。

 中でも護衛艦「たかなみ」は横須賀を緊急出港後、多くの漂流物が予想される陸岸近くを最高速力で北上し、発災翌日未明、指定された金華山沖に到着、石巻港沖を活動拠点として救助活動を開始しました。港内に入港できないことから、搭載艇で陸上救難隊100名を上陸させ、偶然孤立した被災者27名を発見救出しました。被災者には幼稚園児11名が含まれており、艦内に収容して2泊させ、園児や関係者から大変感謝され、その様子は後日テレビで報道されました。その後も同艦は2日目から4日目にかけ毎日100名の陸上救難隊を派出し、搭載ヘリで103名、搭載艇で32名の被災者を救助しました。
 また、「たかなみ」の目に見えない最大の成果は、石巻市の被災民に地震の翌朝から護衛艦の姿を見せ、「国は決して見捨てていない」との意思表示を行うことによって人心の安定に貢献したことだと思います。

 未曾有の災害といういわば国家の非常事態において、被災民はじめ国民が精神的にダメージを受けている中、救難に駆け付ける自衛隊員や艦艇、航空機等を国家の象徴的な形で見せることが、いかに人心安定に貢献するのかを考えさせられる事例でありました。今後は、従来の問われて答える受動的広報ではなく、積極的に海自の活動を広く国民にアピールしていく戦略的広報への転換が必要であると思います。
 
2 米海軍との共同連携
 注目すべきは、米軍の実施した友達作戦(OPERATION TOMODACHI)でした。朝鮮半島や周辺地域での任務や訓練をすべて中止して、日本の救援のために駆けつけてくれた結果、ピーク時には、空母2隻を含む22隻の艦艇、132機の航空機及び15,000人以上の人員を動員してくれました。これらの現場においてスムーズな救助活動が実施できたのも、海上自衛隊と米海軍間で長年培ってきた協力関係があったからこそだと思います。
 通常、米軍が他国の軍隊と共同作戦を実施する場合、米軍部隊は他国の指揮下に入ることはありません。しかし、今回の救難活動においては、初めて米軍部隊が日本の指揮所の下で、お互いの意思疎通を図りながら実際の活動に従事しました。

 彼らが任務を終え被災地を離れる時に、浜辺に「ARIGATO」の大きな文字を地元の人達が描いて感謝の気持ちを表した感動的な場面がありました。今後も可能な限り、米海軍関係者との交流の継続に努めたいと願っています。

3 自衛隊は何のために存在するのか
 今回の震災を通じて、自衛隊と国民との距離が縮まり、自衛隊に対する期待と信頼が高まったのは喜ばしいことでした。しかしながら、今回被災地での自衛隊の活動がそれほど大きく報道されなかった背景には、自衛隊誕生の経緯に遠因があります。昭和20年、太平洋戦争の敗戦により日本は連合国の占領下におかれ、陸軍も海軍も解体されました。その結果、軍隊でも警察でもない警察予備隊が創設されたのです。その後、昭和29年、正式に陸・海・空自衛隊が発足し、現在に至っています。
 
冷戦が終わり、世界的規模での戦争の蓋然性が低くなる一方、民族、宗教等に起因する地域紛争や、テロ、海賊などの国家以外の組織による国境を越えた脅威が浮上してきました。平成2年の湾岸危機以後、自衛隊には、PKOを始めとする様々な海外任務が付与されました。こうした海外での活動、また、阪神・淡路大震災をはじめ国内で頻発した大規模災害、能登半島不審船事案における海上警備行動などの現場において、さらに、今回の大震災や集中豪雨における自衛隊の活動により、国民の生命、身体、そして財産を守るため、隊員たちが一身を顧みず、懸命に汗を流す姿に、大多数の国民の共感と信頼が集まり、自衛隊に対する評価も増大してきています。

 一人の自衛官OBとしての願いを吐露すれば、自衛隊にもっと名誉を与えよと訴えたいのではなく、将来、国民の誰もが疑うことなく自衛隊の存在を認めることができるように、「我が国を防衛するために陸・海・空自衛隊を設置する」と明確に憲法に規定される日のくることを切に望んでいます。

4 おわりに
 秋山好古や弟の真之は松山藩の尚武の気風を受け継いでいました。それを受けて戦前の松山中学は、秋山真之をはじめ多くの海軍兵学校、陸軍士官学校出身者を輩出していますが、戦後はその反動からか防大に入校する人は決して多くはありませんでした。そうした事情もあってか、私が東高出身の最初の海将昇任者となったのは、巡り合わせとは言え名誉なことと感じています。
幸い、現在は多くの東高出身の後輩諸君が防大、防衛医大及び一般大学等を経て、陸・海・空自衛隊で活躍しているのは頼もしい限りです。

 国家は、国民一人一人から構成され、一人一人の「義務と責任」から成り立っています。健全な社会は、何らかの犠牲的精神、いわゆる縁の下の力持ちがなければ存在し得ないのです。また、現代の日本の若者の特徴として、社会性、公共性が希薄になってきているといわれます。自分のためではなく、世のため、人のために汗を流す、涙を流す、場合によっては血を流す、その究極の組織が軍隊であります。

 法制上、自衛隊は軍隊ではありませんが、自衛隊を去った一人の老兵として述懐すれば、自衛官は、「厳しい訓練を重ね、戦闘に勝つための技を磨きながらも、その技が役に立つ日の来ないことを祈り、かつ、使われないようにその抑止のためにさらに技を磨く」という割の合わない仕事でもあります。だからこそ、人の一生をかけて悔いのない、遣り甲斐のある仕事であると信じて36年間奉職してきました。

 今、日本人に求められているのは、「国家を担っているのは自分たちだ」という帰属意識であると思います。将来の日本を憂うる、一人でも多くの東高の後輩諸君が、尚武の気概をもって、世のため、人のために活躍してくれることを願っています。

                                                                           以 上

※ 尚、詳細は2012年春刊行の本部同窓会誌『明教』をご覧下さい。

  
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