「今やかの 三つのベースに人満ちて そぞろに胸の打ち騒ぐかな」
1898年(明治31年)にこの歌を詠んだ正岡子規が、1892年の創部に関わり、後輩達に野球を教え、長い歴史と伝統を誇る母校野球部!
その野球部後輩たちが久々に新しい歴史を創ってくれました。
文武両道の校風、恵まれない環境の中で工夫を凝らした効果的練習、少し気恥ずかしい偏差値70(?)の考える野球を活かしたデータ野球、それらの成果が出て、昨年の夏と秋の県下の大会でいずれも2位の成績を残したことが素晴らしく、この甲子園出場の夢への架け橋となりました。
正岡子規と大江健三郎の母校、小説“坊っちゃん”と“坂の上の雲”の舞台、甲子園全国制覇経験もあり、話題満載の松山東高が上げたこの成績を評価して、高野連が21世紀枠に選出、甲子園出場は65年ぶり、春に限れば82年ぶりという久々の甲子園出場の夢の実現となりました。
【初 戦】
甲子園での初戦は、3月25日、対二松学舎大付属戦!
強豪居並ぶ130校を超える東東京枠の代表校。「これは手強い!」
甲子園での母校応援はおそらく生涯唯一のチャンス! その思いを込めて、ほぼ7000人の同窓生が全国から甲子園に結集。アルプス席と内野席を埋め尽くした同窓生が後輩たちのために精一杯の声援を送りました。
母校を思う気持ちでこの応援に駆けつけてくれた同窓生に感謝です!
誰もが太刀打ち出来ないと思った強豪校に何と先制!
先行してはいたものの、6回裏に追いつかれた時には、もはやこれまで!との思い。
陣取った三塁側アルプス席・内野席からの声援も益々大きくなっていきました。チャンスの度に総立ち、ピンチの時も総立ち!
少しやり過ぎたか・・・? それでも、応援席からの声援は後輩の選手達にとって大きな支えとなったようです。
スタンドからの、「がんばって~いきま~しょい!」のかけ声を力にし、アーチ型で「MATSUYAMA」と描かれた復刻ユニホームの胸を張って後輩達は頑張りました。
その応援の勢いに乗ってか、7回表に1点を追加、再度リード。そしてその1点差を守りきり、何となんと5-4で勝利!
応援している皆は正に「大番狂わせが起こった!」との思いで、大いに歓喜しました。
ピッチャーの亀岡君は「応援の声に励まされた」と。また、二松学舎のピッチャーは「敵方の応援に圧倒された」とのコメント。後輩達の勝利の陰には、彼らを支えた先輩達の存在も大きかったと思われます。
後日談によると、野球部の後輩達は「二松学舎大付の出場試合のビデオを分析、投手の配球や各打者の特性をデータ化して大いに参考にした」とのこと。
「ベンチ入りしていないメンバーのデータ分析のお陰」と感謝しながら、16三振を喫しながらも、全員野球で数少ないチャンスを活かし、強豪を抑えきった後輩たちの偉業に感服です。正に、“文武”の“文”もフルに活用した全員野球の成果だったと思います。
甲子園で勝利の校歌斉唱は感動そのものでした。アルプス席と内野席の全員が立ち上がり、肩を組み合って、体を左右にゆらしながら歌う校歌は、まるで夢心地でした。
「眉~きよらかに~ 頬~はあつく~ いのち~また~燃え~た~り かか~る日の~ ・・・」
甲子園で、勝利の歌として歌った東高校歌は、「松山東高、ここに在り」といった勢いで、甲子園のスタンドが揺れました。
校名が一切出てこないユニークな州之内徹氏作詞の歌詞、そして校歌としては少しロマンチックな響きのある近衛秀麿氏のメロディー。そのメロディーに乗って、込み上げる感動を抑え切れない様子で、流れ落ちる涙を拭こうともせず、ただただ大きな声で校歌を歌うご高齢の先輩方の姿もたくさん見られました。
後輩の皆さん、この感動をありがとう!すべては君たちのお陰です。
【短歌と俳句】
この甲子園で、さらに話題性が高まったのが、敦賀気比の篠原涼主将の開会式の選手宣誓!
松山東高の甲子園出場を受けて、「正岡子規の母校でもある松山東さんが出場されるので」と、チームで考えて宣誓文に短歌を盛り込んでの宣誓となりました。
「グラウンドに チームメートの 笑顔あり 夢を追い掛け 命輝く」
さらに、感謝の気持ちを伝えるためとして「戦争による中断や震災など困難を乗り越え、野球ができることに感謝します」と、謙虚さと若さを備えた見事な宣誓でした。
毎年松山で開かれる「俳句甲子園」で優勝2回/準優勝3回を誇る松山東高俳句部は、敦賀気比に見事な短歌を詠んで頂いたことを受け、そのお返しにと、俳句部員が約30句の返句をつくり、顧問の森川大和教諭(32)がその中から高畠慎太朗君(2年)の俳句を選びお返しをしました。
「春光(しゅんこう)や 命漲(みなぎ)る グラウンド」
高畠君は敦賀気比の短歌をみて、一生懸命戦う力強さを感じ、「命」の言葉を俳句にも盛り込んだとのこと。素晴らしい短歌と俳句のやりとりでした。
また別途、このやりとりの前に、母校俳句部は、82年ぶりに選抜出場を決めた野球部に対して次の俳句を贈っていました。
「ここに集へ 正東風(まごち)に校歌 響かせむ」
さらに、初戦をアルプス席で観戦した7人の俳句部員は、
「桜東風 校歌を刻む ためにあり」
とも詠み上げました。母校の甲子園出場を機に、まるで大先輩の正岡子規が息を吹き返したかのような話題となりましたが、また同時に、夏目漱石も息を吹き返すことになりました。
実は、初戦を戦った二松学舎大付属の母体となった二松学舎は、夏目漱石と深いご縁がありました。
二松學舍は、1877年(明治10年)に漢学者の三島中洲により創建されました。
当時の日本が近代化を進める余り、過度の欧米化に突き進む有様を懸念、日本人がそれまで漢学を通じて深耕してきた日本人の精神性を維持する必要性を強く思い、漢学塾として二松学舎を創ったとのこと。
そして、夏目漱石が14歳だった時、二松学舎で1年ほど漢詩文などを学んだとのこと。
漱石は、その後、愛媛県尋常中学に教師として赴任、その体験を基に小説「坊っちゃん」を書きました。
今春の「松山東高vs二松学舎大付」戦は、愚陀仏庵で同居した「正岡子規vs夏目漱石」の2人の文学者の、世紀を超えた戦いとしても、盛り上がりを見せました。
【第2戦】 続いて3日後の28日、甲子園第2戦は東海大付属第四校戦!
高校野球レベルの東高西低が話題となる昨今、北海道270校を代表する強豪校です。そして、ここでも後輩達の大健闘が光りました。
東海大四を7回までを2-0でリードする素晴らしい試合を展開。8回に逆転され、結果的には2-3の惜敗、もしやと思った春の選抜8強は成りませんでした。
しかしながら、惜敗を喫した相手の東海大四はその後決勝まで駒を進め、あの選手宣誓の敦賀気比と対戦、惜しくも優勝を逃す準優勝! 彼らも大健闘を見せてくれました。
短歌と俳句で新たな交流のあったあの敦賀気比が優勝することになり、これもまた清々しい思い出となりました。
残念ながら82年ぶり2度目の春の選抜甲子園はここで終了しましたが、今年の春の「春一番」と「花吹雪」のように、野球部の後輩達は新たな歴史を刻み、人々を感動の渦に巻き込み、そして沢山のお土産を残してくれました。
野球部の後輩達に改めて感謝の気持ちと、大健闘の賛辞を贈りたいと思います。
【甲子園効果】
大きなお土産として、先ずは、同窓会の結束の、絆の輪が、著しく強く、大きくなったと思います。
これまで同窓会の活動や交流に余り関心を持たなかった一般会員の皆さんが、後輩達の甲子園出場を機に同窓会に大きく近づき、多額のご寄付を提供、新たに名簿登録、年会費納入をして頂きました。
そうした同窓生の皆さんにもお礼申し上げます。
今年の4月に4万人を超えた松山中学・松山東高の卒業生。物故者を除く約3万人の内、住所がほぼ判明している会員が約2.5万人。
その皆さん方の内、関東支部登録の約3,500人には関東支部から、そして残りの2万人超には松山本部から、甲子園募金の趣意書をお送りしました。
その結果、野球部OBを除く関東支部の方々のご寄付は、1,257名の方々から、合計13,378,000円をご献金頂きました。
同窓会・野球部OB会・後援会・PTA・保護者会等々で急遽結成された甲子園応援の後援会全体では、約1万人のご寄付で、総額が約1億1千万円と聞いており、同窓会の中での関東支部の貢献度は15%程度というところでしょうか。
そして、関東支部では、アルプスチケット配布の優先順位を、寄付者>年会費納入者>名簿登録者としたことから、3月末時点で、年会費納入者が昨年比250名増となり、登録者数増と共に、年会費収入も大きく増加、関東支部財政にも大きな援助となりました。
そして甲子園での試合当日は、全国から同窓会員が甲子園に結集、7000人余りの同窓会員の集いは、その規模において、前代未聞の大同窓会でもありました。
アルプスチケットの確保のため、近隣の近畿地区から、さらには遠方から泊りがけで、早朝からチケット売り場に並ぶ同窓生。できるだけ多くのチケットを確保して、仲間たちに分け合う同窓生。事前の打ち合わせあり、無言の奉仕あり、その協力体制はやはり同窓生ならではのものでした。
率先してチケット確保に動いて頂いた方々にも感謝です。
応援スタンドでは小グループ毎に固まって応援で盛り上がっていたようでしたが、出場が確定していた初戦の夜は、甲子園から梅田の界隈のあちこちで卒業年次毎の同期会が企画されていた模様で、緑のメガフォンと緑のシャツを着た同窓生で、大阪の夜が緑に染まった一夜でもありました。
21世紀枠に選出されてから頻繁にメディアにも登場、想定以上の話題性と賑わいを見せた母校の存在感。関東から、愛媛から、近畿から、全国から、普段、会うことのない同期生同士の久しぶりの再会。それぞれが松山中学・松山東高の歴史と伝統と存在感、それを共有できる同窓の魅力を実感・堪能されたことでしょう。
【課 題】
その反面、甲子園出場への不慣れに依る種々な課題もまた浮き彫りになりました。
アルプスチケットの確保に関して、後援会全体への配布が4000枚程度と聞かされるも、関東支部への割り当て数の判明までに時間がかかり、関東支部としても、寄付者>年会費納入者>名簿登録者の優先順で割り当てる方針が、
会員に確約できない状態が続きました。
バスツアー企画も、チケット確保が不明な中、アナウンスが遅れ、初戦・二戦共に約30名、1台のバスツアーとなりました。
また、これまで同窓会にご縁が薄かった同窓生の皆さんからは、同窓会の松山本部と関東支部の位置付けに関するお問い合わせがあるなど、同窓会の在り様に関する疑問点のご指摘も散見されました。これについては、今後、本部と各支部の間での調整を通じて、相応の改善が必要と考えております。
関東支部での名簿管理は、クラウド化したシステムを活用、複数名の事務局員が積極的に会員への個別対応してきたこともあり、登録会員に関してはほぼ全員の現状を管理できていますが、同窓会全体としては、今後の課題として一層の改善が求められる状況かと思われます。
チケットの手渡し方法については、初戦での阪神甲子園駅前ノボテルホテルの利用で高野連から注意を受け、二戦目の阪神高速ガード下でも、配布時間・場所を限定してのアルプス券配布を高野連から指導されていたが、そのやり方にも注意を受けました。
応援の仕方についても、攻撃時のみの応援に限定され、守備時には控えるようにという原則があったようで、東高応援が、チャンスにピンチに総立ちの声援で応援したことも、高野連からの注意対象になりました。
しかしながら、東高が大きく打ち上げたフライを、後ろ向きに走りながら好捕した敵方守備のファインプレーにも、東高応援席からは惜しみない拍手が送られ、品格のある応援団でもありました。(さすがは東高!)
【今 後】
昨年の秋からこの春までの公式戦勝利数によるポイント制で、夏の甲子園県内予選のシード順位も決定しております。
第1シード:今西、第2シード:新田に次いで、東高は第3シードとなっており、県内予選は7月11日から開始。
母校の野球部後輩達の、甲子園経験を経たことによる大いなる成長と、今春にも優る大活躍を期待して、夏の甲子園への自力出場を、同窓会員全員で心より祈念しております。
最後に、野球部後輩達に、激励のエールを贈りたいと思います。
『ひがしこお~~ やきゅうぶう~~ がんばってえ~~ いきまあ~~ しょい!
もひとつう~~ がんばってえ~~ いきまあ~~ しょい!』
さて、関東支部では、6月21日(日)11:00~ 例年のように総会の開催を予定しております。
http://kanto-meikyo.jp/contents/substance/r-katsudo/r-150426.shtml
今回は、漫画家・アニメ作家、『銀河鉄道999』や『宇宙戦艦ヤマト』の作者、松本零士先生にご後援頂きます。
演題は、「戦後70年の節目の年に思うこと」 ~ 戦後の苦難から平和へ ~
先生のご両親が共に大洲市のご出身。戦時中は先生ご自身も大洲市に疎開され、その時に見た星空の美しさが先生の作品の発想に繋がっているとも言われています。
アニメファンならずとも、必見の価値のあるご講演ですV(^_^)/
また、今年の特別企画として、当然のことながら野球部の甲子園出場に関する各種催しも充実して盛り込んでおりますので、皆様お誘い合わせの上、是非、ご参加下さい。執行部一同、多数のご参加をお待ちしております(^^)/
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